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男娼 [夢]

 電話は突然かかってきた。
 今夜からだと言う。受話器の向こうの声は、とりあえず打合せしたいから四時までに新宿まで来てくれ、と言って通話は切れた。

 時計を見るともう三時をまわっていた。今すぐ出ても四時には間に合わないのは瞭然だがほっておくわけにもいかないので急いで支度をしてドアに鍵をかけエレベータに乗った。
 支度とは言ってもなにを支度すればいいのかわからず、タオル、財布、ウォークマンを鞄に入れただけだ。
 もう夕方だというのに一向に納まらない暑さをかいくぐって改札を通り、冷え過ぎの車両に座る。吹き出す汗をタオルで拭ってイヤフォンを装着、気持ちもなにもないままプレイボタンを押して流れる音の奔流に身を任せただただ到着を待つ。耳石を揺らすだけの音にも愛着が沸き始め楽しみになってきたところで新宿着のアナウンスが車内に流れ自力で動かない腰を無理矢理あげて降車する。
 あえて地下を歩かず猛暑の地上にさっさと出て靖国通りを目指して何も考えず歩いた。席を立ったときに外したイヤフォンがシャカシャカ鳴っているのに気づきウォークマンの電源を切った。ちょうど靖国通りを渡っている最中で信号は赤になり、ああ、ここの信号は容赦なく変わるし歩行者無視でアクセル踏むよな、などとぼんやり思いながらも急ぐことはなく渡り切るギリギリ、背後十センチもない距離でタクシーが猛然と過ぎ去るのを感じた。
 話はこうだった。
 すでに予約が入っていて先方はもう待機している。なるべく急いで行ってくれ。あとはまかせる。
 まかされたらしょうがない。気が進むわけでもないが躊躇することもなく渡された紙片に書かれた場所へタオル片手にまた酷暑の大気に揉まれながら歩く。
 フロントで鍵を受け取り七階のボタンを押す。
 ほんとに世界は水平と垂直しかないな、下がって進んで上がるだけだ。
 キーを挿し、ノブを回して部屋に入る。
 いるな、確かに。物音はしなくても人気は感じるものだ。
 ドアをロックしてタオルを鞄にしまい、一呼吸してから部屋の中を向き、存在をもう一度確かめる、五感で。
 特に挨拶をするまでもなくベッドの端に座り無造作にシャツを脱ぐ。反対側の端に座っていてベッドに傾斜ができているのは感じているし、かすかに肩が震えているのも知っている。靴を脱いで靴下も投げてズボンも脱いだところでもう一呼吸し初めて振り返る。ベッドのむこう端でやはりむこうを向いて座っているその肩にそっと手を置く。ビクっとする身体に安心させるようにそっと手を首に回す。一瞬で不安と慟哭と諦めと覚悟を演じたのを確認して後ろ向きのまま片手ずつ首筋から胸へと手を這わす、ゆっくりと。ふくよかな乳房の周辺からゆっくり掌を頂上にむかって這わしながら人差し指と中指で乳首を挟む。漏れる息を押し殺してまだ頑ななままも、ゆっくり腰から背中をこちらに預ける体重、それを感じながら同じリズムで右手は腹部へと降りていく。丸い優しいお腹を一周したとき首が仰向けに折れた。
 焦りの動悸が今度はこっちの番だった。
 明らかに感じたであろうこちらの戸惑いをものともせず、いや、わかっていたのだろう、身体をひねって首に両腕を回す彼女は申し分ない作戦を遂行している。
 一瞬の戸惑いで逆転してしまった関係に理解も対処も出来ぬまま逆に押し倒され、溢れ出る情熱を若者が全身で受け止めるかのごとくに吸い取られて行く様な気持ちで、そのよく見知った顔の持ち主は私を凌駕していく。
 気がついたら一人ベッドで裸のまま寝ていた。
 よくわからないま携帯を見つけ一応の電話をする。
 終わったらしい、今日は。
 激しい焦燥と敗北を感じながら抜け殻のようにフロントで会計を済ませ新宿駅へ向かった。

 翌朝、目がさめたら全ては忘却の彼方、だったはずなのに心の中で盛り上がる寂寥と焦燥と期待と希望。いつもいつでも、目が覚める、という行為で安心していたはずの時間がまったく持てないまま今日が始まった。なにやらわからない灰色の雲に覆われたまま始まった今日はいつもの通りつまらない仕事と電話で忙殺されている。時間だけが過ぎ去る間にこの身を委ねつついつものように陽は落ちていく。そしていつもと違うのは昨日から始まった電話だ。
 容赦なくむこうの電話口で語られる今日のノルマに相づちも同意も拒否も反対も許されないままドアに鍵をかけエレベータを降りる。異常に冷たい山手線で震えながら新宿で降りて不愉快にも限度があるんじゃないかと思うほど暑い靖国通りをまた歩いている。
 今日は言葉すらない。
 渡された紙片を頼りに辿り着くホテルのフロントでわざとらしく振る舞って、もう午後五時には情事の真っ最中だ。夕べのような余裕は消し飛んだ後、冷静になろうとけなげににも思った決意は全く意味もなく、それでも今ベッドで暴れている自分がいる…ことすら気がついていない。
 昨日より近づいてくるその相手は、異常に脅威なのだけれども、拘泥してしまう自分がわからない。わからないけれどもはまっていくこの状況がわかるわけで、結局は「よし」とするか「いかん」とするかなのだろうが、どちらの選択肢も選ばないままこの状況を弄ぶ。
 そして、今日も終わった。
 昨日よりも冷静で…あったと思うが…対処がわかってひっそりと帰宅する。

 そして。
 容赦なく今日も電話がかかってくる。
 電話口のむこうでは、ここ数日の私の不安を感じたのか、今までと全く違う声色だ。
 私は関係ない。
 わかりました、とだけ返事して、またタオルを首に巻きながら駅まで歩くのだ。
 今日また逢う、きっと、全く「知ってる」人と会うのだ。
 そしてその人と、精神的にも肉体的にも感情的にも、そして「関係ない」関係も全て破棄して、いや破棄したつもりになって逢うのだ。逢ってまさぐるのだ。まさぐってまさぐって虚無を確かめたいのだ。虚無をもって帰るのだ。何もない、ならまだいい。何もないことを虚無を考えたらだめなのだ。
 そんな全く意味のないことを私はし続けていることに、当然誇りを持ったりはしていないが、そんなもんだと思える自分がかわいいと思うしかないではないか。
 理屈にならない理屈「みたい」なことを考えていながら私は今日も彼女の身体をまさぐっていた。
 指に、手の腹に、足の指先に。
 そこに感じる動物的な肉体的なモノ、そこにだけ全神経を注いで官能する。
 もう、こうして、言葉にすることが意味がない。
 あなたも感じる、感じてる、知ってるはずの官能を。

 そうして今日もまた、自分では無表情に装いつつ、実はそうでないこともわかりつつ。
 夕方の電話に期待してでかけるのだ。


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